「レクチャーコンサート 3人の大作曲家のラブ・ストーリーズ バッハ、モーツアルト、ベルティ」
タイトルが長すぎて全部書けませんでした。
「アリアCD店主 松本大輔のレクチャーコンサート
3人の大作曲家のラブ・ストーリーズ
バッハ、モーツアルトヴェルディ
大作曲家生涯最大の恋、悲恋かそれとも・・・」
6月9日(土)開演13時半
文化フォーラム・視聴覚ホール
クラシックCDショップ「アリアCD」主催
後援 公益財団法人かすがい市民文化財団
これはコンサートと呼ぶべきか講義と呼ぶべきか、
悩むところですが、松本氏の軽快な語り口の中で、
印象に残った部分をメモしました。
(間違えている箇所があるかもしれません。ごめんなさい)
<ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)>
バッハはドイツのチューーリンゲン地方のアイゼナハで生まれました。
バッハの家系は1500年代から続き、200人近い音楽家を輩出しています。
このようにいうと、すごくお金持ちのイメージがしますが、
実は生活は質素でした。
9歳で母親が10歳で父親がなくなり、長男の家に引き取られました。
15歳のとき、リューネブルクに移り、
修道院付属学校の給費生としして生活します。
19歳で、ヴァイマールの宮廷楽団に就職します。
ヴァイマールは今では地方名ですが、
当時はヴァイマル公国と呼ばれていました。
バッハはヴァイオリンを担当しますが、オルガンもひきました。
そして、アルンシュタットの教会のオルガにストとして採用され、
聖歌隊の指導もすることになりました。
聖歌隊というと、ウィーン少年合唱団のイメージですが、
実はバッハより年長者も大勢いました。
そして、教会のまじめなイメージとは逆に、ごろつきも大勢いました。
バッハがそういう人たちに注意をすると、
彼らは喧嘩をふっかけてきました。
当時、バッハは気になる女性がいたので、良いところを見せたかったのでしょう。
礼装用のサーベルでやり返してしまいました。
バッハもやんちゃな部分があったんですね。
その時気にかけていたのがマリア・バルバラだったのでしょう。
1705年、バッハはリューベックに旅行し、
ブクステフーデに演奏を学びます。
ブクステフーデに才能を認められ、就職、そして後継者への道が拓けました。
ところが、ブクステフーデの出した条件は自分の娘との結婚でした。
栄光の後継者への道を拒絶したのは、マリア・バルバラへの想いがあったからでしょう。
そのころ作曲された曲が
「トッカータとフーガ ニ短調」でした。
当時としては、センセーショナルな冒頭の旋律が一躍注目の的となります。
若い頃のバッハがこの曲を作曲したのは驚きですね。
ここで、CD視聴
「トッカータとフーガ ニ短調」
(感想:確かに、それまでの教会音楽とはかけ離れていますね。
今、聴いても新しいと感じる部分があると感じてしまいました。
センセーショナルを巻き起こしたのは当然かもしれませんね。
ゴジラの登場シーンにも似ている気がします。)
旅行から戻ってきたバッハを教会側は叱責します。
4週間の予定が3カ月以上たって戻ってきたこと、
そして当時は女性禁止だったのに、女性に歌を歌わせたこと、
これもマリア・バルバラだったのでしょう。
極めつけは、おかしな演奏をしたこと。
当時、前衛的な曲はアルンシュタットでは受け入れられなかったのでしょう。
22歳の時、ミュールハウゼンでオルガニストに採用されます。
そして、とうとうマリア・バルバラと結婚します。
1708年、23歳のとき、再びヴァイマールに移って宮廷オルガニストになります。
ここでの待遇もバッハはあまり満足していなかったようです。
1717年、32歳の時、ケーテンという当時の大国の宮廷楽長となり、
恵まれた環境の中で、名作を作曲していきます。
領主のレオポルト侯とは、友人の関係でした。
そして、1720年レオポルト侯に従って旅行中に妻が急死してしまいます。
バッハが帰ってきたときは、すでに埋葬も終わっていた状態でした。
1年半後、バッハは宮廷歌手のアンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚します。
1年半後に結婚するなんて薄情だと感じたかたもいらっしゃるでしょう。
しかし、当時は半年過ぎたら再婚するのが当たり前の時代でした。
だから、たった1年半で再婚したのではなく、1年半も経った後に再婚したのです。
それだけ、マリア・バルバラへの愛情が深かったのでしょう。
ここで今泉藍子さんによるピアノ演奏
「シャコンヌ」
編曲は小林秀雄氏です。
作家の小林秀雄さんもいらっしゃいますが、
音楽家の小林秀雄さんです。
<ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756~1791)>
モーツアルトは1756年、バッハの死後に生まれました。
父はレオポルト、母はマリア・アンナ。
モーツアルトは6歳の時、父レオポルトに連れられて、
ヨーロッパ中を旅行します。
旅行、というよりも父レオポルトのプロデュースで、
あちこちで、お金を稼ぎまくっていた、という方がいいかもしれません。
大成功をおさめますが、召抱えられることはありませんでした。
その後、父は謝罪して復職します。
ところが、モーツアルトは21歳の時、宮廷音楽家を辞職して、
ヨーロッパ就職活動旅行へ旅立ちます。
今回は父親がついていません。
モーツアルトは若かったので、自由になったとマントハイムで遊びふけります。
その頃、ソプラノ歌手の卵だったアロイジア・ウェーバーと知り合います。
ここで、cd視聴
「フルート四重奏曲第1番より第1楽章」
(感想:恋に浮かれた自由さ、のびやかさ、楽しさが感じられますね。)
しかし、今回の旅行は父親がついていかなかったので、
母親が代わりについて行きました。
そのため、マンハイムでお金を使いすぎてしまったモーツアルトは、
本当に貧乏になってしまいます。
陽のあたらない、薄暗い家しか借りることができなくなってしまいました。
そんな環境で母は病気になってしまいます。
反省するモーツアルトでしたが、時はすでに遅し。
母はそのまま死亡してしまいます。
23歳の時、ザルツブルグに出戻り、宮廷オルガニストに復帰します。
25歳の時、ウィーンでコロレド大司教と大喧嘩をして、
職を失ってしまいます。
そして作曲を始めます。
26歳の時にコンスタンツェと結婚します。
彼女は実はアロイジアの妹だったのです。
ピアノ・ソナタ第8番は、母親がなくなった頃の作品です。
悲劇的な曲調をもっています。
ここでピアノ演奏
「ピアノ・ソナタ第8番」より第1楽章
モーツアルトがなくなったときは、バリは悲しみで包まれたそうです。
享年35歳。
―休憩-
<ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901>
1700年代イタリアオペラが大流行します。
パリジェンロ、チマローゼ、ロッシーニらが有名です。
特にロッシーニはヨーロッパを征服したとまで言われました。
それまでの軽いオペラを芸術作品にまで仕上げたのがヴェルディです。
ヴェルディは、ミラノとゴローニャの間ぐらいにあるレ・ロンコーレに生まれました。
19歳の時にミラノで音楽を勉強、
23歳の時にブッセートの音楽学校の教師になり、幼馴染と結婚します。
2人の子供を設けますが、二人とも死亡してしまいます。
そして、27歳の時には妻マルゲリータまで死亡してしまいます。
そして、スカラ座での「一日だけの王様」も初演失敗しています。
失意のどん底となってしまったわけです。
ところが、ソプラノ歌手ジュゼッピーナ・ストレッポーニの助言もあり、
「ナブッコ」をスカラ座で初演、成功します。
~ゆけわが愛に~
このころから、ジュゼッピーナへの愛が芽生えていたのでしょうか?
34歳の頃から、ジュゼッピーナとパリで同棲を始めます。
ジュゼッピーナは、3人の私生児を生んでいました。
そして、その父親が誰かもわからないほど、自由奔放でした。
そのため、ヴェルディはジュゼッピーナを愛していても、
結婚しようとまでは思いませんでした。
36歳の頃、故郷の近くのブッセートでジュゼッピーナと暮らし始めます。
作曲を手掛けますが、パリではなく田舎であったため、
ジュゼッピーナに対する周囲の視線は冷たいものでした。
38歳の頃、「リゴレット」をヴェネツィアで初演します。
そして、イタリアの田舎サンターガタの農場で暮らします。
40歳の頃、「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」をヴェネツィアで初演します。
椿姫はご存知の通り、高級娼婦です。
椿姫にジュゼッピーナを、主人公に自分を投影させていたのではないのでしょうか。
CD視聴
「椿姫」から「ああ、そはかの人か」
42歳の頃、サンターガタの農場で農業をはじめます。
単に田舎暮らしの慰めに農作業をしたのではなく、
大勢の農夫を雇い、大農場経営者となっていきます。
音楽の才能だけではなく、経営者としての才能もあったのですね。
46歳の時、「もうオペラは書かない」と農場で身をひそめます。
そして、とうとうジュゼッピーナ・ストレッポーニと結婚します。
CD視聴
「椿姫」から「愛する人よ、パリを離れよう」
48歳の時、イタリアが統一されイタリア王国が誕生します。
なんと、国会議員に選出されました。
58歳の時、「アイーダ」がエジプト・カイロで初演され、好評を得ます。
61歳の時、尊敬する作家の死に、「レクイエム」を作曲します。
その後、音楽と遠ざかった生活を送りますが、
1887年(80歳)、「オテロ」がミラノ、スカラ座で初演されます。
栄光を手にしますが84歳の時、最愛の妻ストレッポーニが死去。
彼女は、ヴェルディが持つすみれの花を見ながら、なくなりました。
すみれの花はストレッポーニが好きだった花。
ヴェルディのストレッポーニに対する愛は変わらなかったのですね。
ヴェルディは彼女の死に落胆し、
87歳でミラノのホテルで倒れ、意識不明のまま死去。
彼の葬儀には30万人の群衆が哀悼の意を表したといわれます。
ピアノ演奏
「ピアノ協奏曲」(リゴレット・パラフレーズ)
この曲はリストが編曲していて、1851年幸せな田舎暮らしをしていた時の曲です。
(感想:リストが編曲しているせいもあって、ヴェルディの曲らしさをあまり感じませんでした。)
ピアノ演奏アンコール曲
「トロイメライ」より、「子供の情景」(シューマン作曲)
<感想>
モーツアルトの恋や人生は映画や本などで読む機会がありました。
けれどバッハやヴェルディは、古めかしいイメージしかありませんでした。
ところが、彼らは、時代の最先端を先取りして、現代にも通用する道を切り開きました。
その人生は愛する女性に対する思いがあったからこそ、
実ったのかもしれないとかんじました。
----------------------------------
<追記>
半世紀前の貴重な歴史的音源。
松本大輔の解説付き名曲CD
2枚組(1枚は音楽のみ)
第1弾:名曲で奏でるショパンの生涯1
2枚組2000円
第2段:大人になった…子供のための音楽集
2枚組2000円
※最初は「子供のための音楽集」だったそうですが、
話の内容がどろどろしてきたため、「大人になった」を
付け加えられたそうです。
「アリアCD店主 松本大輔のレクチャーコンサート
3人の大作曲家のラブ・ストーリーズ
バッハ、モーツアルトヴェルディ
大作曲家生涯最大の恋、悲恋かそれとも・・・」
6月9日(土)開演13時半
文化フォーラム・視聴覚ホール
クラシックCDショップ「アリアCD」主催
後援 公益財団法人かすがい市民文化財団
これはコンサートと呼ぶべきか講義と呼ぶべきか、
悩むところですが、松本氏の軽快な語り口の中で、
印象に残った部分をメモしました。
(間違えている箇所があるかもしれません。ごめんなさい)
<ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)>
バッハはドイツのチューーリンゲン地方のアイゼナハで生まれました。
バッハの家系は1500年代から続き、200人近い音楽家を輩出しています。
このようにいうと、すごくお金持ちのイメージがしますが、
実は生活は質素でした。
9歳で母親が10歳で父親がなくなり、長男の家に引き取られました。
15歳のとき、リューネブルクに移り、
修道院付属学校の給費生としして生活します。
19歳で、ヴァイマールの宮廷楽団に就職します。
ヴァイマールは今では地方名ですが、
当時はヴァイマル公国と呼ばれていました。
バッハはヴァイオリンを担当しますが、オルガンもひきました。
そして、アルンシュタットの教会のオルガにストとして採用され、
聖歌隊の指導もすることになりました。
聖歌隊というと、ウィーン少年合唱団のイメージですが、
実はバッハより年長者も大勢いました。
そして、教会のまじめなイメージとは逆に、ごろつきも大勢いました。
バッハがそういう人たちに注意をすると、
彼らは喧嘩をふっかけてきました。
当時、バッハは気になる女性がいたので、良いところを見せたかったのでしょう。
礼装用のサーベルでやり返してしまいました。
バッハもやんちゃな部分があったんですね。
その時気にかけていたのがマリア・バルバラだったのでしょう。
1705年、バッハはリューベックに旅行し、
ブクステフーデに演奏を学びます。
ブクステフーデに才能を認められ、就職、そして後継者への道が拓けました。
ところが、ブクステフーデの出した条件は自分の娘との結婚でした。
栄光の後継者への道を拒絶したのは、マリア・バルバラへの想いがあったからでしょう。
そのころ作曲された曲が
「トッカータとフーガ ニ短調」でした。
当時としては、センセーショナルな冒頭の旋律が一躍注目の的となります。
若い頃のバッハがこの曲を作曲したのは驚きですね。
ここで、CD視聴
「トッカータとフーガ ニ短調」
(感想:確かに、それまでの教会音楽とはかけ離れていますね。
今、聴いても新しいと感じる部分があると感じてしまいました。
センセーショナルを巻き起こしたのは当然かもしれませんね。
ゴジラの登場シーンにも似ている気がします。)
旅行から戻ってきたバッハを教会側は叱責します。
4週間の予定が3カ月以上たって戻ってきたこと、
そして当時は女性禁止だったのに、女性に歌を歌わせたこと、
これもマリア・バルバラだったのでしょう。
極めつけは、おかしな演奏をしたこと。
当時、前衛的な曲はアルンシュタットでは受け入れられなかったのでしょう。
22歳の時、ミュールハウゼンでオルガニストに採用されます。
そして、とうとうマリア・バルバラと結婚します。
1708年、23歳のとき、再びヴァイマールに移って宮廷オルガニストになります。
ここでの待遇もバッハはあまり満足していなかったようです。
1717年、32歳の時、ケーテンという当時の大国の宮廷楽長となり、
恵まれた環境の中で、名作を作曲していきます。
領主のレオポルト侯とは、友人の関係でした。
そして、1720年レオポルト侯に従って旅行中に妻が急死してしまいます。
バッハが帰ってきたときは、すでに埋葬も終わっていた状態でした。
1年半後、バッハは宮廷歌手のアンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚します。
1年半後に結婚するなんて薄情だと感じたかたもいらっしゃるでしょう。
しかし、当時は半年過ぎたら再婚するのが当たり前の時代でした。
だから、たった1年半で再婚したのではなく、1年半も経った後に再婚したのです。
それだけ、マリア・バルバラへの愛情が深かったのでしょう。
ここで今泉藍子さんによるピアノ演奏
「シャコンヌ」
編曲は小林秀雄氏です。
作家の小林秀雄さんもいらっしゃいますが、
音楽家の小林秀雄さんです。
<ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756~1791)>
モーツアルトは1756年、バッハの死後に生まれました。
父はレオポルト、母はマリア・アンナ。
モーツアルトは6歳の時、父レオポルトに連れられて、
ヨーロッパ中を旅行します。
旅行、というよりも父レオポルトのプロデュースで、
あちこちで、お金を稼ぎまくっていた、という方がいいかもしれません。
大成功をおさめますが、召抱えられることはありませんでした。
その後、父は謝罪して復職します。
ところが、モーツアルトは21歳の時、宮廷音楽家を辞職して、
ヨーロッパ就職活動旅行へ旅立ちます。
今回は父親がついていません。
モーツアルトは若かったので、自由になったとマントハイムで遊びふけります。
その頃、ソプラノ歌手の卵だったアロイジア・ウェーバーと知り合います。
ここで、cd視聴
「フルート四重奏曲第1番より第1楽章」
(感想:恋に浮かれた自由さ、のびやかさ、楽しさが感じられますね。)
しかし、今回の旅行は父親がついていかなかったので、
母親が代わりについて行きました。
そのため、マンハイムでお金を使いすぎてしまったモーツアルトは、
本当に貧乏になってしまいます。
陽のあたらない、薄暗い家しか借りることができなくなってしまいました。
そんな環境で母は病気になってしまいます。
反省するモーツアルトでしたが、時はすでに遅し。
母はそのまま死亡してしまいます。
23歳の時、ザルツブルグに出戻り、宮廷オルガニストに復帰します。
25歳の時、ウィーンでコロレド大司教と大喧嘩をして、
職を失ってしまいます。
そして作曲を始めます。
26歳の時にコンスタンツェと結婚します。
彼女は実はアロイジアの妹だったのです。
ピアノ・ソナタ第8番は、母親がなくなった頃の作品です。
悲劇的な曲調をもっています。
ここでピアノ演奏
「ピアノ・ソナタ第8番」より第1楽章
モーツアルトがなくなったときは、バリは悲しみで包まれたそうです。
享年35歳。
―休憩-
<ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901>
1700年代イタリアオペラが大流行します。
パリジェンロ、チマローゼ、ロッシーニらが有名です。
特にロッシーニはヨーロッパを征服したとまで言われました。
それまでの軽いオペラを芸術作品にまで仕上げたのがヴェルディです。
ヴェルディは、ミラノとゴローニャの間ぐらいにあるレ・ロンコーレに生まれました。
19歳の時にミラノで音楽を勉強、
23歳の時にブッセートの音楽学校の教師になり、幼馴染と結婚します。
2人の子供を設けますが、二人とも死亡してしまいます。
そして、27歳の時には妻マルゲリータまで死亡してしまいます。
そして、スカラ座での「一日だけの王様」も初演失敗しています。
失意のどん底となってしまったわけです。
ところが、ソプラノ歌手ジュゼッピーナ・ストレッポーニの助言もあり、
「ナブッコ」をスカラ座で初演、成功します。
~ゆけわが愛に~
このころから、ジュゼッピーナへの愛が芽生えていたのでしょうか?
34歳の頃から、ジュゼッピーナとパリで同棲を始めます。
ジュゼッピーナは、3人の私生児を生んでいました。
そして、その父親が誰かもわからないほど、自由奔放でした。
そのため、ヴェルディはジュゼッピーナを愛していても、
結婚しようとまでは思いませんでした。
36歳の頃、故郷の近くのブッセートでジュゼッピーナと暮らし始めます。
作曲を手掛けますが、パリではなく田舎であったため、
ジュゼッピーナに対する周囲の視線は冷たいものでした。
38歳の頃、「リゴレット」をヴェネツィアで初演します。
そして、イタリアの田舎サンターガタの農場で暮らします。
40歳の頃、「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」をヴェネツィアで初演します。
椿姫はご存知の通り、高級娼婦です。
椿姫にジュゼッピーナを、主人公に自分を投影させていたのではないのでしょうか。
CD視聴
「椿姫」から「ああ、そはかの人か」
42歳の頃、サンターガタの農場で農業をはじめます。
単に田舎暮らしの慰めに農作業をしたのではなく、
大勢の農夫を雇い、大農場経営者となっていきます。
音楽の才能だけではなく、経営者としての才能もあったのですね。
46歳の時、「もうオペラは書かない」と農場で身をひそめます。
そして、とうとうジュゼッピーナ・ストレッポーニと結婚します。
CD視聴
「椿姫」から「愛する人よ、パリを離れよう」
48歳の時、イタリアが統一されイタリア王国が誕生します。
なんと、国会議員に選出されました。
58歳の時、「アイーダ」がエジプト・カイロで初演され、好評を得ます。
61歳の時、尊敬する作家の死に、「レクイエム」を作曲します。
その後、音楽と遠ざかった生活を送りますが、
1887年(80歳)、「オテロ」がミラノ、スカラ座で初演されます。
栄光を手にしますが84歳の時、最愛の妻ストレッポーニが死去。
彼女は、ヴェルディが持つすみれの花を見ながら、なくなりました。
すみれの花はストレッポーニが好きだった花。
ヴェルディのストレッポーニに対する愛は変わらなかったのですね。
ヴェルディは彼女の死に落胆し、
87歳でミラノのホテルで倒れ、意識不明のまま死去。
彼の葬儀には30万人の群衆が哀悼の意を表したといわれます。
ピアノ演奏
「ピアノ協奏曲」(リゴレット・パラフレーズ)
この曲はリストが編曲していて、1851年幸せな田舎暮らしをしていた時の曲です。
(感想:リストが編曲しているせいもあって、ヴェルディの曲らしさをあまり感じませんでした。)
ピアノ演奏アンコール曲
「トロイメライ」より、「子供の情景」(シューマン作曲)
<感想>
モーツアルトの恋や人生は映画や本などで読む機会がありました。
けれどバッハやヴェルディは、古めかしいイメージしかありませんでした。
ところが、彼らは、時代の最先端を先取りして、現代にも通用する道を切り開きました。
その人生は愛する女性に対する思いがあったからこそ、
実ったのかもしれないとかんじました。
----------------------------------
<追記>
半世紀前の貴重な歴史的音源。
松本大輔の解説付き名曲CD
2枚組(1枚は音楽のみ)
第1弾:名曲で奏でるショパンの生涯1
2枚組2000円
第2段:大人になった…子供のための音楽集
2枚組2000円
※最初は「子供のための音楽集」だったそうですが、
話の内容がどろどろしてきたため、「大人になった」を
付け加えられたそうです。
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